2008年6月アーカイブ
こんばんは♪この時期ですと、せっかくのお出かけなのに雨が...なんてことも結構多いですよね(´・ω・)この日だけは降って欲しくない!でも天気ばかりはどうしようもないからなぁ......。実はどうにかすることができるのです。何と人工的に雨を消す方法があるそうです。
来る2008年夏、いよいよ北京五輪開幕となるわけですが、中国は『必ず青空の下で開会式を行う。絶対に雨は降らせない』と豪語しています。
しかし、北京では年間降水量の75%が夏期に集中し、8月は3日に一度は雨が降ると言われています。しかも、中国国営通信新華社などによると、開会式の行われる8月8日の降水確率は50%ととても高い確率になっています。
そこで登場するのが『人工消雨』です。北京で雨を降らせるであろう雨雲を開会式数日前に刺激し、北京に雨雲が来る前に他所で雨を降らせきってしまう、という方法です。雨雲を刺激して雨を人工的に降らせるというアイデアは意外と古く、戦後すぐの1946年には初めての実験も行われているそうです。詳細な仕組みは明らかになっていませんが、中国では飛行機やミサイルを使ってヨウ化銀などの化学物質を散布し、雲を刺激して降雨を促す技術が実用化されています。
中国は、人工消雨で北京五輪『開会式晴れ』への威信かけた挑戦としています。
北京五輪開会式は2008年8月8日午後8時8分(現地時間)に行われます。何故降水確率が高いことが分かっているにも関わらず、それでもあえてこの日時に開会式を行おうとするのかというと、『8は中国にとっては縁起の良い数とされているから』、だそうです。自分たちの文化的理由を何よりも重んじ、それに大自然をすら従わせようとする......これぞ正しく『中華思想』だなぁと思いました(;^_^A
私個人の意見としては、人工消雨にはあまり賛成はできません。人工的に雨を降らせることによる環境への負荷、他地域への影響がとても気になります。皆さまはどのようにお考えになられますか?
(K.F)
こんにちは!!ブログ更新遅れてすみません; 今日は、企業訪問やインターンシップなどについて書こうと思います。
このブログを見ている皆さんは、将来マスコミに就職したい、もしくはマスコミに興味がある人が多いかもしれませんね。私もその一人なのですが、今年の後半から就職活動が始まるということで、マスコミ業界の中でも、それぞれの業界、企業の特徴について最近すごく意識しています。
マスコミ!!といっても、新聞、テレビ、出版、広告、ラジオ、インターネット、通信社など種類はさまざま。さらに、それぞれの業界の中でも企業ごとに微妙に社風や雰囲気が違います。
その中で、それぞれの業界や企業について知っておくことはとっても大事なことだと思います。就職活動の面接では、志望理由や企業に入ってやりたいことを聞かれますし、試験に受かれば実際にそこで働くわけですから。入社してから「えー!!こんなハズじゃなかったのにー!!」とかなったら大変ですし( ^ ^ ;)
それぞれの業界や企業について知るには、
①インターネットや本などで調べる→インターネットなら、各企業のHP、本なら業界研究本や会社四季報など
②企業に足を運ぶ、実際に企業で働いている人に話を聞く→企業訪問やOB訪問
③企業で働いてみる→インターンシップ
などの方法があります。
①はもちろんやっておくべきですし、一番手軽な方法ですが、インターネットや本で調べるだけでは、実際のイメージってとっても沸きにくいですよね!!そこで個人的には②や③が重要だと思うわけです。
皆さんは、メディアコム生ということで(メディアコム生以外の方がいたらすみません;)②や③をする機会にはすごく恵まれていると思います。
例えば、渉外企画部が主催している企業訪問。私は、朝日新聞社と共同通信の二社の企業訪問に参加しました。どちらも会社の具体的なイメージをつかむのに良い機会となりましたし、新たな発見もありました。実際に働いている人の生の声を聞くことができた事もとても良かったです。
それから、これはメディアコムとは直接的な関係はないのですが、私は昨日、朝日新聞の1日記者体験というものに参加してきました!!1日記者体験とは、朝日新聞が学生を対象に公募をしているもので、内容は新聞業界、朝日新聞に関する講義と取材・記事執筆演習などです。この行事を通して、新聞業界や朝日新聞について理解を深めることができましたし、取材をして記事を書くというのは日常生活ではなかなかできない体験だったので、とても楽しかったです☆
本やインターネットで調べるだけでは、見えてこない業界、企業のイメージ。マスコミに限らず、企業に足を運ぶということで、イメージは何倍も具体的なものになると思います。そのイメージは、就職活動でESを書く時や面接などで志望理由を答える時に必要不可欠なもの。皆さんも、気になる企業に足を運んでみてはいかがでしょうか? (C.H)
こんにちは!先週から降ったり晴れたり不安定な天気ですね。
ところで、今日はプログラムの話をしたいと思います。
映画や演劇、コンサートで必ず売っている、あらすじや解説を載せたプログラム。
演目が始まる前に買って、パラパラめくって、終わった後に流し読みして......結局、隅から隅までは一度も読まずに捨ててしまったり、部屋に置いたままホコリを被っているという方、多いんじゃないかと思います。
先週の日曜日、友達の所属しているオーケストラのコンサートに行く機会がありました。
私はクラシックの知識ゼロだったので、とりあえず始まる前にプログラムの曲解説を読んでいました。
『アルルの女』は、アルルの町で出会った女に恋した青年の苦悩の物語。
『悲愴』はチャイコフスキーの最後の交響曲で、暗すぎるため初演の観客には否定された...
所要時間10分足らずの付け焼刃。
ですがこの付け焼刃で、約二時間の演奏中、「今のは物語のここの表現かな」「次はハープの序奏で始まるはず」と情報と音楽を一致させて、わくわくと高揚感を持ちながら聴けました。
プログラムって、演目の楽しみを倍増させると思います。
映画や演劇でも同じ。始まる前にプログラムであらすじを知っておけば、上映中はじっくり人物の心を味わうことだけに集中できます。
映画を観た帰り、コンサートの帰り、どんな人たちがこのプログラムを書いたんだろう?と時々考えます。映画は配給会社の人、演劇は劇団の人、コンサートなら演奏者かスタッフの誰かでしょうか。
ニ時間の映画。四時間の演劇。書き手はそれを全部、プログラムの短いあらすじや解説に詰めなければなりません。大抵、それぞれ半ページくらいしか割かれない中で。
観客に情報を明確に伝えなければいけない、かといって文学的センスゼロの文章でもいけない、しかも枠内に収めなければいけない、と苦悩している彼らの姿が想像できます。何度も推敲してようやくできたものは、ほとんどの観客には読み流され、しかも自分の名前は決して載らない。
そんな影の書き手たちの存在を思うと、ついあらすじや解説を隅から隅まで読んでしまいます。
プログラムを買ったときは、ぜひ書き手の存在を意識してみてください。
一字一句飛ばさず熟読してみるのも、たまにはいいかもしれません。(Y.H)
こんばんは。今日は久々に晴れましたね!私はこないだの金土日菅谷ゼミの合宿にいってきました!
今日はおすすめのドキュメンタリー映画を紹介します。
「ダーウィンの悪夢」です。
ちょっぴり古いけれどみてないひとにすすめたいと思いました。
ロシアからコンゴやルワンダなどに武器を運んでくる飛行機が,ヴィクトリア湖でナイルパーチをのせて戻っていく。
そのパイロット相手に10ドルで売春する女の子や1ドルで夜警する男性。アル中の親やエイズで死んでしまった親の子供たち。 「いきるために働く」と彼らは言う。
多くの女性はエイズで夫を失ってしまって,その後仕事をしなきゃいけないから湖周辺で売春をしにいってさらに多くの男性の死をまねくんだそう。
男の人は生きるため,家族を養うために湖で漁師として働くけれど,湖周辺には病院も診療所もなく,病気になったら働けないから,動けるうちに家にバスとかでさっさとかえらなくちゃいけない。遺体は運ぶのに高い費用がかかるから。
そして彼らは魚の梱包材を焼いて麻薬みたいにして煙をすって,眠って,恐怖を忘れるようにする。
ナイルパーチのせいでヴィクトリア湖はぼろぼろ。それでもEUはインフラを整備してやった、と誇らしげにいう。
そしてアフリカからヨーロッパに運ばれるナイルパーチを毎日200万人の白人がたべている。けれども処理加工されたナイルパーチは現地のひとにはかえなくって数百万人のアフリカ人は残骸をたべる。
国連は食糧とかいっぱい寄付して
いかにもいい人のようにヨーロッパ人はふるまうけど
結局武器の市場としてずっとアフリカから搾取をやめない。
アフリカで戦争が起きてればビジネス面で都合がいいからヨーロッパ人は本気でとめようとしない。
アフリカの人たちも兵士はお給料が高いから皆戦争を望んでしまう。
まさに悪循環,,
現実がちょっぴりわかるようなそんな映画だとおもいます
稚拙な文章でごめんなさい・・・とりあえずおすすめです。
またあしたもはれるといいな。 (M.H)
みなさん、こんばんは!6月も半ばを過ぎて、少しずつ夏の気配が感じられるようになってきましたね。
さて、今日のテーマは、先日の安倍宏行先生の授業のゲストとして来てくださったフジテレビ情報制作局ドキュメンタリー担当部長の味谷和哉さんの講演で、印象深かったことについて書こうと思います☆
ちなみに、味谷さんは「ザ・ノンフィクション」という番組のチーフプロデューサーをなさっている方です。
全体的な感想として、お話の内容はドキュメント制作に関する実戦的なお話から、学生時代の話、恋の話など多岐にわたり、その気取らない話し方からは味谷さんの気さくなお人柄が感じ取れました(^^)
どの話も非常に興味深かったのですが、個人的には味谷さんの生き方についての話が印象深かったような気がします。
中でも、
「自分は探すのではなく創れ!」
というお話は、私にとっては本当に新鮮で新しい視点でした。
私自身、「自分」という存在がすごく不明瞭で、結局のところ、他者との関わり合いの中でしか「自分らしさ」を見つけることができない自分に嫌悪感のようなものを強く感じていました。
ふと気付くと、人間はみな孤独な存在であり、だからこそ他者の存在によってではなく自分自身の力で揺るぎない「自分」をいつの日か探したい、また探せるのだろうか、と常日頃考えたりもしていました。
そんなときに味谷さんのお話で、自分というものは探して見つかるものではなくて、今というこの瞬間から一人一人が作り出していくものなのだ。ということをお聞きしました。
味谷さんのお話を聞いて、流され易くて曖昧な今の自分自身を嘆くのではなく、もっと積極的に色んな経験をしたり考え方を学んで、自分自身を創りながら能動的に今を生きて行こう!と、なんだかそんな風に前向きな気持ちになれました(*^_^*)
なんだか、個人的な主観に偏った内容になってしまいましたね(-_-;)すいません
それはともかく、とても心に残る講演でした☆☆ (N.H)
ムーミンって一体何者なんでしょう?
「カバだと思ってたけど、実は妖精らしい」と、いう説が一般に広まっています。実際に「妖精」と雑誌やテレビでも言われています。
しかし、これは間違いです。
作者のトーベ・ヤンソンは、「動物でも人間でもなく、もちろん妖精でもない。しいて言えば<生きもの>でしょうか。」という表現をしています。
トーベ・ヤンソンは、スウェーデン系フィンランド人の女性作家。
ムーミン、正式にはムーミン・トロールというキャラクターは、風刺画から生まれました。
第二次世界大戦下で、ヤンソンは政治的風刺雑誌「ガルム」の表紙絵を何度か担当。その表紙絵の端に、ムーミンらしき生きものが描かれています。(まだあまりかわいくないです)
そしてムーミン童話の中にも風刺的な要素が込められています。
例えば「ムーミン谷の彗星」。ムーミン谷に彗星が迫り、住民たちが逃げまどいます。ここに出てくる彗星は、原爆あるいはナチスの脅威を表現したものと言われています。
ほかのストーリーも、それぞれのキャラクターが人間臭さを持っていて、子供向け童話とは思えないほど、奥深い内容なのです。
大人になった今だからこそ読んでほしい!ムーミン童話の紹介でした。(E.R)
どうもみなさんこんにちは。19度くらいが一年中続けばいいと思うような季節になってきましたがいかがお過ごしでしょうか。
先週、秋葉原で残念な事件が起こりました。そこでは惨劇の場に人がたかり、自分のデジカメやカメラ付ケータイで「かしゅーかしゅー」と撮影し、その場で画像の交換をする人々の姿が見られました。
このような光景を不謹慎だと感じる人も多くいたでしょうが、まぁそのことには触れる気は一切ありません。人にはその人なりの考えがあるものです、それについてとやかく言うつもりは毛頭ないです、はい。
ここで言えることは「当該者意識の欠如」と「祭意識」がその場に居合わせた人々の心を支配していたのではないか、ということです。
「当該者意識の欠如」言わずもがな、「自分が殺されてないから関係ないし。うわ、血流れてる、痛そー。」というような感覚ですね。
目の前で起きた惨劇は、結局被害に合っていない人たちからすると「日常の中の非日常」でしかないのだろう。
「日常の中の非日常」そのような感覚からやってくるのが「祭り意識」です。彼らの日常を彩るものは朝起きて、ルーティーンをこなし、寝る。そんな退屈な日常の中に突然起きた非日常。それはそれは気分も高揚するでしょう。彼らは日本どころか世界をも震撼させる事件に出くわしたのです。
だからこそあのような軽率ともとることのできる行動にでたのではないでしょうか。
まぁこれは単なるひとりごとです、無視してください。 (K.T)
気分も滅入ってしまう梅雨がはじまりましたね(´・ω・`)
雨が降ると、つい家にこもりがち...
今日はそんなあなたに映画を紹介したいと思います!
「Bowling for Columbine/ボウリング・フォー・コロンバイン」(2002年)

もうみなさんご存知かと思いますが、
「華氏911」などでも有名なマイケル・ムーア監督が評価を確立させた作品です。
1999年4月に起きたコロンバイン高校銃乱射事件の背景を探りながら
アメリカ社会を見つめるドキュメンリー、と聞くと難しそうですが
とにかくテンポが良くて退屈させません♪♪
途中でアメリカ建国の歴史がポップなアニメで始まったり、
色んな人に突撃インタビューしてみたり、
被害者のインタビューでも、ただただ悲惨さを訴えるのではなく論理的に事件について触れられています。
高校生2人が自分たちの通う高校で銃を乱射するに至った、タイトルのコロンバイン高校の事件だけでなく
アメリカは銃による死者が他国に比べて格段に多くなっています。
それはなぜなのか。
銃が簡単に買えるのがいけない?
貧困、格差が生み出した?
人種問題?
それとも、アメリカ人の国民性?
もちろん様々な要因が考えられますが、映画を見ているうちに、だんだんと
メディアを通じて「恐怖」を植えつけるアメリカ社会の病巣が見えてきます。
また、逆に監督はメディアの力を借りて銃社会を規制する大きな一歩を成し遂げます。
日本公開の際につけられたキャッチコピー 「こんなアメリカに誰がした?」
この問いの答えや、メディアの功罪についてなどなど
自分なりに考えずにはいられません。
ドキュメンタリーが苦手な人にも、絶対に一度見て欲しい!
メディアに興味を持つ方は必見の映画です!!
(T.E)
「本って読みたいんだけど、なかなか時間がなくて読めないんだよなぁ」っていう人って結構いるんじゃないかと思います。
以前はそう思ってなかなか本を読んでいなかった私ですが、最近は週3冊ぐらい読めるようになりました!
というのも通学時間、特に「電車」で本を読むようになったからです。
私は家が遠く乗車時間が1時間くらいです。
それで週3冊程度は読めますから、読むスピードが早かったり、乗車時間が長い人はもっと多く本を読むことが出来るでしょう。
朝混んでいる電車の中でも本があればその本の世界に引き込まれて満員電車に乗っていることも忘れてしまいます。
これも電車での読書の良い点です。
夢中になって読んでいるうちに「もう着いちゃった」なんてことはしばしばです。
忙しくてなかなか本が読めないあなたや満員電車にイライラをなくしたいあなた、電車内読書を始めてみたらいかがでしょうか。
(A.U)
すでに2週間前のことになりますが、日吉キャンパスに「日本で最も熱い男」と言っても過言ではないあの人がやってきました。
そう、松岡修造さんです。
メディアにも頻繁に登場する彼の姿を一目見ようと殺到した人はなんと会場となった大教室には入りきらないほど!1時間前から並んでいても入場規制に引っかかってしまったとか。かくいう僕も5限の授業を抜けてきたので本会場には入れず、別室で同時中継による聴講となりました。
松岡さんの講演はスポーツマンらしい「筋」の一本通ったもので、どこで抑揚をつけるか、どういう展開にすれば聴衆を引き込むことができるか、など、人を動かすための術が凝縮されているような素晴らしい講演でした。(ちなみに松岡さんいわく、未来を予測し、そこに自分を近づけようとする「イメージ力」が人を動かすのだそうです)
さて、講演会に行けなかった方々に伝えたい言葉はたくさんあるのですが、この「コムステ」はメディアコム広報部のブログということもありますし、今回は講演の中でも特に印象的だった、「情報を読み取る力」についてのお話を紹介します。
松岡さんは少年時代、初の海外遠征で世界トップクラスの選手たちのプレーを目撃し、なぜ彼らは強くあれるのか、真剣に考えられたそうです。導き出した答えは、「強い選手は、相手の情報を読み取るのが上手い」ということでした。相手の情報・・・個人競技のテニスにおいてはすなわちクセや性格などですが、それを知ることで相手の弱点や苦手な所を突くことができ、有利に試合を進めることができるというのです。その「情報の読み取り方」とは、松岡さん流に言うとこのようになります。
1.情報を「盗む」
2.入ってきた情報の「分析」
3.相手に対してどう行動を起こせばいいのか、「理解」
4.そして、「表現」する。
現役時代からの「熱い」パフォーマンスの裏には、実は案外に筋道の立ったプロセスが隠されていたというわけです。笑
この最後の項目である「表現」については、松岡さんは言葉を変えて何度も伝えていました。それは自分を常にリプロデュースしていくことであり、自分にとって何が問題意識なのか主体的に考え、自律・決断を繰り返すことで身につくものなのだそうです。
今日の社会において情報は、まるでテニスのラリーのようにそこら中を飛び交っています。
良い情報=チャンスボールを逃さず、倍以上の価値ある情報として返す。情報に対してただ受け身の姿勢でなく、常に最高の「表現」ができるように考え続ける。これはまさに、総表現社会と言われる現在に生きる僕たちが実践していくべき姿勢なのではないでしょうか。
自分の将来目指すフィールドとはまったく違う分野で活躍する人の講演を聞くことは、新鮮な視点を得られておすすめですよ!
それでは、今回はこの辺で(^-^)
(D.S)
今更ながら、映画「手紙」を観ました。
犯罪の加害者と近い関係にあるというだけで、夢をあきらめ恋人を失い、家族までもが差別されていく。
2年前に原作を読んだときは、「加害者側も大変なのだろうな...」と自分が漠然と持っていたイメージが、
このような描写により具体化されていて、衝撃を隠せませんでした。
同時に、「大変そう」などといって片付けてしまっていた自分が恥ずかしくもありました。
さて、私たちは画面を(あるいは文字を)通じて主人公を見、殺人の背景にあるものを知っているから、
「金のために人を殺すなんて、最悪だ」というセリフや、テレビリポーターの「身勝手で悪質な...」という伝え方、
そして子どもまでもが差別されることに「そんなのおかしいよ」と感じることができるわけです。
でも、もし映画や小説に描かれた世界にもし自分が立ち会っていたら...
もしかしたら同じように自分も差別していたかもしれない。
話は逸れますが、光市母子殺害事件のテレビ報道にBPOが意見書を提出したそうです。
つまり「被害者側の視点ばかりが強調されている」と。
細かい点はともかく、確かにそういう面はあるかもしれません。
犯罪報道は事件の背後にあるものを明らかにし、新たな犯罪を防止することが理念上求められています。
被害者の悲痛な声を届けることも重要でしょう。
しかし、それに偏りがちな昨今の報道は、恐怖感や厳罰化の風潮を煽るばかりで、
視聴者の想像力を奪っているのではないでしょうか?
確かに理不尽な犯罪も増えているように見えますし、それに厳罰を与えることは必要かもしれません。
けれど、事件や犯罪の起こる背景をきちんと考える機会を持たなければ「教訓にする」ことなど難しい気がします。
そんなわけで、もし加害者でも被害者でもない立場として報道に接するならば、想像力を強く持つことが重要なのだと、
改めて考える機会となりました。
